緑風荘に住む座敷わらしの由来と火災の原因や新たな伝説とは!?

外観最近座敷わらし伝説で有名な緑風荘の再建が発表されました。

そもそも座敷わらし伝説の由来や火災が起こった原因は何だったのでしょうか。

また、そのとき人々が目撃した信じられない光景とは!?

ちょっと気になったので調べてみました。

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緑風荘に住む座敷わらしの由来とは!?

緑風荘は岩手県二戸市金田一の温泉郷にある、多くの人々から愛されている旅館です。

この宿を全国的に有名にしているのは、なんと言っても座敷わらしの存在です。

座敷わらしの名前は亀麿(かめまろ)と言うのですが、この宿では亀麿を精霊として、つまり先祖の守り神として祀っています。

その祀ってある場所を亀麿神社、別名わらし神社というのですが、緑風荘の敷地内に存在するそうです。

それでは、この座敷わらしとしての亀麿はいつ、どのようにして生まれたのでしょうか。

亀麿が実在していたとされるのが、1300年の南北朝時代だとされています。

このとき、南朝の武将が足利尊氏率いる北朝との戦いに敗れ、落ち武者となって大和国から武蔵国五日市(現在の奈良県から東京都あきる野市)に落ち延びてきたそうです。

しかし、武蔵国五日市は関東の勢力範囲内だったために、さらに陸奥国(現在の金田一)に落ち延びたそうです。

それが今の岩手県二戸市金田一ですね。

そのときその落ちてきた武将には6歳と4歳の男の子がいたそうなのですが、6歳の亀麿の方が病を患って死んでしまったそうです。

しかし、気丈にも死ぬ前に「末代まで家を守り続けます」と言い残し息を引き取ったそうです。

そして、その遺言を守り奥座敷である「槐の間」に住み着いた亀麿の霊は、家の守り神として存在するだけでなく、時折お客様に姿を見せていたずらをするようになったそうです。

その「槐の間」の様子がこちら。

座敷

今では、この「槐の間」で座敷わらしに遭遇することができると、男の人は出世し、女の人は玉の輿にのれるといった驚くほどの幸運に恵まれると言われています。

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緑風荘で起こった火災の原因や新たな伝説とは!?

残念なことに2009年に火災に見舞われた緑風荘ですが、何があったのでしょうか。

火災の原因はボイラー室からの出火で、築300年にもなる母屋などの4棟が消失してしまったそうです。

そのときの様子がこちら。

火災

しかし、なんと奇跡的に裏にあった祠は残ったそうです。

この祠は座敷わらしが祀ってある亀麿神社のことですが、そこだけ残るのも何とも不思議な感じですね。

亀麿がそこだけは守ったのでしょうか。

また、自分の祀ってある亀麿神社だけでなく、そのとき建物にいた宿泊客や従業員も全員守ったというのです。

末代まで家を守ると言い残した亀麿の効力が今でも残っていると示しているかのようですね。

さらに、そのときの火災で緑風荘にいた座敷わらしはどうなってしまったのかと心配されましたが、なんと火災当日緑風荘から非難して亀麿神社に入っていく2人の子供の姿が消防や近所の人達に目撃されているそうです。

おそらく、亀麿とその弟なのでしょう。

そして、その火災以降は他の旅館でも座敷わらしの目撃が相次いでいるそうです。

きっと緑風荘がなくなってしまったので、他の座敷に遊びに行っているのですね。

この度緑風荘の再建が発表されましたが、再建後はきっと座敷に戻ってきて、再び幸運を運んできてくれるでしょう。

そのときは新たな緑風荘の座敷わらし伝説の始まりですね。

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