ベッキーのデビューから休業まで!?絶頂から衝撃の転落まとめ!?

thumbnailまるで栄枯盛衰の芸能界の縮図を見るような、元気で明るかったベッキーさんの絶頂からの思わぬ転落。

そんなベッキーさんのデビューのきっかけや人気の理由、一方でとことん嫌われていた原因とは何だったのでしょう。

また、川谷絵音さんとの不倫や破局報道についてや、ベッキーさんが抜けたことで各番組が立てた代役など、いろいろ気になったので調べてみました!

今回は、ベッキーさんという1人のタレントの歩いた道のりも追っていきたいと思います。

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プロフィール

名前:ベッキー
本名:レベッカ・英里・レイボーン
生年月日:1984年3月6日(31歳)
出身:神奈川県
身長:157 cm
血液型:AB型
所属:サンミュージックプロダクション

1999年:「ベッキー」名義の「そらとぶポケモンキッズ」でCDデビュー。ドラマ「ブースカ! ブースカ!!」でドラマ初出演。
2003年:映画「NOEL」で映画初出演。
2006年:亜細亜大学経営学部経営学科を卒業。
2012年:TBS「ニンゲン観察バラエティ モニタリング」MCを務める。
2016年:ロックバンド「ゲスの極み乙女。」のボーカル・川谷絵音と不倫疑惑が報じられ、芸能活動休止。

デビュー時は苦労した!?(0歳~15歳)

ベッキーさんの本名、「レベッカ」とは、ヘブライ語で「魅了する者」「うっとりさせる者」そして「束縛する者」という意味があるのだそうです。

そんな誘惑的な名前を持つベッキーさんは、小さなころから「テレビの中の人になりたい!」という憧れと決意があったそうです。

その理由は、「絶対に自分に向いていると思ったから」とあちこちで発言していたそうなので、タレント業はベッキーさんにとって運命を感じさせる職業だったのでしょう。

そんなベッキーさんの育った環境はというと、お父様であるサイモンさんはイギリス人ですが、生まれたのは当時まだイギリス連邦の加盟国であったアフリカのジンバブエでした。

サイモンさんが10代の頃、本土のイギリスで空手を習ったことがきっかけで来日したそうです。

そしてベッキーさんのお母様である智佳子さんと出会い、以来日本で英語やイギリスのマナーを教える教室や貿易会社を設立運営して家族で定住されたのだそうですね。

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また、ベッキーさんには1歳年下の妹のジェシカさんがおり、現在はアメリカで優秀なダンサーとして名を馳せていますよね。

さて、このようにイギリスと日本のハーフとして生まれた「魅了する者」の名を持つベッキーさんですが、デビューしたのは中学3年生14歳の時。

あるオーディションに応募したことがきっかけで、現在のプロダクションであるサンミュージックとの出会いがあったそうです。

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しかし、タレントとして所属しながら日々レッスンを積んでも、最初の1年間はほとんど仕事を貰えなかったとあるインタビューでベッキーさんは語っていました。

売れないながらも周りの新人タレントは、ドラマや映画のエキストラの役が回ってくるのにベッキーさんには、その端役さえなく、オーディションを受けようにも条件に合ったオーディションも限られていたといいます。

おそらく、当時はまだまだハーフや外国人を受け入れる芸能界での枠は、非常に狭かったのではないかと察せられるエピソードですよね。

そんな数少ないオーディションの中、やっと手にしたのが、子供向けの早朝番組「おはスタ」でした。

ベッキーさん、15歳のことです。

そんなベッキーさんは歌手活動も始めていて、最初に出したCDが「そらとぶポケモンキッズ」でした。

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このように、意気込みはあっても世の中の風潮がなかなかベッキーさんを受け入れてくれないという、なんとも歯がゆい滑り出しだった芸能活動は、その後のベッキーさんに様々な影響を与えていったように思えます。

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ハーフの間口を広げたのはベッキーだった!?(16歳~22歳)

実際、ベッキーさんの露出が多くなっていった2000年代中盤からは、それに伴うかのように、外人タレントやハーフタレントたちがまさに入れ食い状態で日本の芸能界に大量放出された時代でもあるようです。

そんな中、ベッキーさんは「おはスタ」を出発点に、「笑う犬」や「たべごろマンマ」「はなまるマーケット」などのバラエティーや情報番組で着実に、そして大きく飛躍して同じハーフタレントたちを振り切るかのように知名度を上げていきました。

その一方で学業の方も東京都にある私立の駒場学園高校を経て、亜細亜大学経営学部経営学科を修業期限内の4年で卒業しています。

つまり、通常の学生と同じように18歳で高校を卒業、そして22歳で大学を卒業というわけですが、この期間にはすでに売れっ子となっていて、芸能界との両立を成功させたことが当時も話題となっていました。

というのも、2005年の映画「MAKOTO」の制作発表インタビューでは、大学に通いながら情報バラエティー番組のレギュラー8本に、雑誌の連載2本を抱えながら映画の撮影もこなしたという超人ぶりに驚く記者からの質問に、

「両方に一生懸命に、やる気をちゃんと持っていれば大丈夫だと思います。」

「自分がやりたい事をやらせて頂いている“欲張り”が原因ですから、苦には思わないんですよ。」

というコメントをさらりと言ってのけている記事がありました。

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すでにこの頃には、ベッキーさんの「ポジティブ+元気+いい人」キャラは確立されていたと考えていいでしょう。

そしてこの2005年には、ベッキーさんが中学の頃から好きだったと言うファッションブランド・エンジェルブルーの秋冬コレクションに、ベッキーさんが手掛けたデザイン「ベッキーコレクション」が登場しています。

このエンジェルブルーというブランドは、今はイオンの傘下に入りプライベートブランドとして生き残っていますが、ちょうどベッキーさんが夢中になったであろう2000年初頭から中盤にかけては、「ミニモニ」の加護亜依さんが頻繁に着ていたことでイメージアップし、かなり高価な値段設定になっていたそうです。

こちらがエンジェルブルーの新作発表でランウェイを闊歩する当時のベッキーさん。

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そして、やや前後しますが2004年のテレビ朝日のドラマ、「エースをねらえ!」の実写版では宝力冴子を演じて、その頃からハーフ役ではなく、日本人役を務めるようになりました。

その背景にあるのが、私生活の中でベッキーさんは20歳(2004年)の時に、それまでイギリスと日本の両方の国籍を持っていたところ日本国籍を選び、戸籍上も日本人となったことが大きく影響していたのではないかと思われます。

こうして、いよいよベッキーさんの芸能生活は押しも押されもしない、まさに爛熟期に突入していったのです。

そこで、次に今では忘れられたベッキーのもう一つの事件について触れていきたいと思います。

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「ついにブレイクしたベッキー!?しかし、そんなタイミングで起こした痴漢冤罪事件がヤバかった・・・」

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