野村克也の成績の裏に隠された若い頃の苦労がヤバイ!?イチローとの本当の仲とは!?

最終更新日:2017年4月18日

日本球界の屈指の名選手、名監督と言われているのが野村克也さんですよね。

野村さんは選手として様々な記録を打ち立てて、監督としても日本一を何度も経験しています。

そんな野村さんなのですが、成績の裏に隠された若い頃の苦労が話題になっているそうです。

さらに、野村さんとイチローさんの本当の仲にも注目が集まっているのだとか。

そこで、ちょっと気になったので調べてみました。

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プロフィール

名前:野村 克也(のむら かつや)
本名:野村 克也(のむら かつや)
生年月日:1935年6月29日(81歳)
出身地:京都府
身長:175cm
血液型:B型
所属:エフエンタープライズ

・1954年:南海ホークスに入団する。
・1965年:三冠王に輝く。
・1973年:選手兼監督としてリーグ優勝する。
・1993年:ヤクルトスワローズの監督として日本一にチームを導く。
・1999年:阪神タイガースの監督になる。
・2006年:楽天イーグルスの監督になる。

野村克也の成績の裏に隠された若い頃の苦労がヤバイ!?

野村克也さんは1950年代にプロ野球入りをして2000年代後半まで監督として活躍していましたよね。

選手、監督の双方で大活躍をしていました。

そんな野村さんなのですが、野村さんの成績の裏に隠された若い頃の苦労が話題になっているそうです。

では、野村さんの若い頃の苦労とは、一体、どのようなものなのでしょうか。

そこで調べてみると、野村さんは捕手として世界初の三冠王になるなど大記録を打ち立てて超一流の成績を残しているのですが、プロ野球入りするまではかなり苦労をしていたのだそうです。

野村さんは1954年に南海ホークスに入団してプロ野球人生をスタートさせたのですが、プロ1年目は9試合しか出場をしなかったものの、プロ3年目の1957年には132試合に出場をして打率3割2厘で142安打、30本塁打、94打点を記録するなど大活躍をしていたのだとか。

また、その後も毎年120試合以上の出場をして3割近い打率と本塁打20本以上を維持し続けていたそうです。

そして、1961年に自身初となるMVPを獲得し、1965年には打率3割2分、本塁打42、打点110を記録して三冠王に輝いているのだとか。

さらに、野村さんは首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回、MVP5回、ベストナイン19回などの大記録を打ち立てていて、1989年には野球殿堂入りも果たしているそうです。

また、野村さんは1970年から選手兼監督としても活躍をしていて、通算ホームランは球界2位を記録しているのだとか。

そして、そんな野村さんの通算成績は打率2割7分7厘、1509打点、2901安打、本塁打657本というものになるそうです。

また、野村さんは監督としても1973年の南海ホークス時代にレギュラーシーズンで選手兼監督としてチームを1位に導き、ヤクルトスワローズ時代には1993年、1995年、1997年の3回も日本一に導いているのだとか。

なので、監督としても超一流と言われて智将と言うにふさわしい野村さんなのですが、そんな野村さんはプロ野球入りする前は家庭がかなりの貧乏だったのだとか。

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野村さんは父親が戦死したことから母子家庭で育っていて、小学一年生の頃から新聞配達やアイスキャンディー売りをするなどしていたそうです。

なので、そうした生活から抜け出そうと野球に打ち込むようになって中学生の頃には奥丹後地方で活躍するなどしたのだとか。

そして、そのまま高校でも野球を続けて努力を重ねていたそうです。

ただ、野村さん自身は努力をしていたのですが、 野村さんが入学した京都府立峰山高等学校はチームがあまり強くなく廃部も検討されるほどだったそうです。

しかし、峯山高等学校の先生が様々な球団に野村さんの推薦状を書いてくれて高校卒業後にテスト生として南海ホークスに入団をすることができたのだとか

そして、野村さんはプロ入りをして大活躍をするようになるのですが、野村さんの偉大な成績の裏に隠された若い頃の苦労がヤバイですよね。

ただ、そうした若い頃の苦労があったからこそ野村さんは選手としてはもちろん監督としても名監督として大記録を残せたのかもしれません。

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野村克也とイチローの本当の仲とは!?

野球選手は様々なことで話題になりますよね。

人気選手同士の仲なども注目されるのですが、野村克也さんとイチローさんの本当の仲に注目が集まっているそうです。

では、野村さんとチローさんの仲とは、一体、どのような感じなのでしょうか。

そこで調べてみると、野村さんとイチローさんは以前から確執があると言われていたそうです。

野村さんとイチローさんは90年代にヤクルトスワローズの監督とオリックスブルーウェーブの選手として何度か対戦をしたことがあるのだとか。

1995年に行われた日本シリーズのヤクルト対オリックスで野村さん率いるヤクルトの投手陣がイチローさんを迎え撃ったのですが、当時の野村さんはマスコミにイチローさんは内角が弱点ということをさかんに言っていたそうです。

なので、日本シリーズでインコース攻めをすることを宣言していたのですが、そのように野村さんはイチローさんにインコースを意識させたものの実際には投手に外角高めの球を投げさせてイチローさんを打ち取ったのだとか。

こうしたメディアを使った作戦によってイチローさんはヤクルトの投手陣に打ち取られてしまったのですが、当時のイチローさんは

「あんなの野球じゃない」

と野村さんを批判していたそうです。

また、野村さんも野球解説者となった時にはイチローさんについて

「自分の成績のために野球をしている」

とイチローさんを批判するなどしていたのだとか。

なので、野村さんとイチローさんはその頃から確執があると言われているそうです。

ただ、野村さんはイチローさんについて1994年には親の教育が良いなどとベタ褒めをして高く評価をしていたのだとか。

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しかし、1995年のオールスター戦の移動の時の飛行機で野村さんとイチローさんが同じ飛行機に乗り合わせた時にイチローさんが野村さんに挨拶をしないことがあったのだそうです。

なので、野村さんはそんなイチローさんに激怒をしてそれ以来イチローさんを批判をするようになったと言われているのだとか。

したがって、そうした事と日本シリーズでの野村さんのメディアを使った戦術などがあって野村さんとイチローさんの確執は決定的なものとなってしまったそうなのですが、野村さんとイチローさんの本当の仲はかなり悪いと言えそうですね。

さらに、2014年にイチローさんが野村さんが持っていたプロ野球最多出場記録の3017試合を抜いた時もイチローさんのコメントはかなり冷めたものだったそうなのですが、嫌いな野村さんの記録を抜いたということでイチローさんはあえて冷めたコメントを残したとも言われているそうです。

今後も二人の確執は解消されることがなさそうなのですが、同じ野球人ということでそんな二人の関係を見守っていきたいですね。

子供の頃はかなり貧しい家庭で育ち、選手兼監督として大記録を打ち立ててその成功の裏に隠された苦労が話題になった野村さんなのですが、イチローさんとは90年代から不仲が続いていると言われて2人の関係が注目されていて、今後もそんな野村さんに注目していきたいですね。

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