宇梶剛士の若い頃の伝説がヤバイ!?嫁との驚きの馴れ初めとは!?

最終更新日:2017年4月16日

thumbnail濃い目の顔立ちが特徴でもある名脇役の宇梶剛士さん。

そんな宇梶剛士さんはCMやバラエティー番組でも引っ張りだこの人気者ですが、なんでも若かりし頃にメンバーだったというブラックエンペラー時代の伝説の数々がヤバイと話題になっています。

また、宇梶剛士さんの嫁について、馴れ染めやその出身なども話題になっているのだとか。

そこで、今回もいろいろ気になったので調べてみました!

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プロフィール

名前:宇梶 剛士(うかじ たかし)
旧名:津村浩(つむら ひろし)
生年月日:1962年8月15日(54歳)
出身:東京都
身長:188 cm
血液型:B型
所属:アベベネクスト

1980年:18歳で錦野旦の付き人となるも、間もなく菅原文太にもらい受けられ、美輪明宏に抜擢され「青森県のせむし男」で初舞台を踏む。
1981年:「警視庁殺人課」(テレビ朝日)でテレビドラマ初出演。
1982年:映画「制覇」で銀幕デビュー。
2007年:「劇団PATHOS PACK」を結成。

宇梶剛士の若い頃の伝説がヤバイ!?

宇梶剛さんと言えば世代を超えて、お茶の間で親しまれている有名なバイプレイヤーですよね。

しかし、そんな宇梶剛さんの若い頃が最近ネット上でも話題になっているようです。

というのも、倒れるだけで腹筋を鍛えられるという腹筋マシーンのコミカルなCMと宇梶さんの雰囲気とのギャップが、視聴者にインパクトを与えているせいか、ご本人に興味を持つ人が続出のようでした。

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このCM、たしかにジワッとくる面白さがありますよね。

そして何といっても宇梶剛士さんの名演技がキラリと光っています。

このように今では悪役から三枚目まで、実に幅広い役をこなす名脇役として宇梶剛士さんは演劇界には無くてはならない俳優さんなのですが、その過去には意外な一面がありました。

なんでも宇梶剛士さんは10代の頃、とんでもない破天荒ぶりを発揮していたのだとか。

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といっても、中学生の頃までは身体は大きいけれど、甲子園を夢見る野球少年だったようです。

宇梶剛士さんは中学3年生にして身長がすでに180cm近かったそうで、野球のセンスもプロ球団のスカウトマンが目を付けていたほどだったそうです。

実際、その野球センスを買われて、高校は北海道拓殖大学第一高校へ進学しています。

ところが、叔父さまを頼って北海道へ移るも、その高校2年の時に若気の至りでしょうか、友人たちと暴力事件を起こし警察沙汰になってしまい少年鑑別所に入れられてしまったのです。

そこからが宇梶剛士さんのある意味「伝説」の始まりのようでした。

宇梶さんは少年鑑別所を出て高校を退学、しばらく北海道の叔父さまのところに居たそうですが、今で言うとニート状態だったようですね。

その後、東京へ戻ってきた宇梶さんは、当時の若者の間では有名な暴走族グループの「ブラックエンペラー」に入り、あっという間に地元の地区の頭(リーダー)からその「ブラックエンペラー」全体を仕切る7代目の総長の座に就いたというから驚きです。

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この「ブラックエンペラー」は、ドキュメンタリーで「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」や「俺たちの生きた時間」という映画が作られ大ヒットしたことで、さらに全国に知られるようになりました。

その制作と公開時期が1976年~1982年というから、まさに宇梶剛士さんが関わっていたであろう期間とピッタリとタイミングが合っていますよね。

つまり、宇梶剛士さんは「ブラックエンペラー」が最も有名だった時期に、その総長であったと考えていいでしょう。

そのため、宇梶剛士さんの「ブラックエンペラー」時代の伝説には事欠かず、ちょっと調べただけでも以下のようなエピソードがありました。

・1対1000人

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ブラックエンペラー200人ほどで爆走しているところ、そこの地元ヤンキーと揉め始め、相手方が見る見る増えて1000人近くまでになったのだとか。

伝説では、その「1000人を相手にケンカして、宇梶剛士が1人で勝った」と言う話になっているようですが、くわしい人の意見によると「1対1のタイマン」に近いものだったそうです。

つまり、リーダーである宇梶さんが相手のリーダーを倒したというわけですね。

・ケンカ相手をドライバーに使った

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宇梶さんのバイクに唾を吐きかけてきた相手を叩きのめして、そのグループのリーダーの所まで行き、そのリーダーも倒して、さらにはそのケンカ相手グループのバイクで宇梶さんは自分が通う教習所の送迎をさせたのだとか。

・本職からスカウト

プロ野球球団のスカウトマンは、残念ながら宇梶さんが少年鑑別所へ入った時点で見切りをつけたようですが、代わって今度は暴力団幹部候補としてソノ道の本職からスカウトが続いたのだそうです。

これら以外にも、現在芸能界で破天荒ぶりをウリにしたり、チラ見せしてキャラにしている人たちも、宇梶剛士さんの前では腰が低くなったというエピソードが続々と出てきました。

たしかに、宇梶剛士さんの若い頃を知れば、ヤンチャをしていた人ほど背筋がピンと伸びてしまうのではないでしょうか。

以上のように、宇梶剛士さんの伝説はマジでヤバイものばかりでした。

ちなみに、こちらがドキュメンタリー映画「ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR」です。

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この映画はナレーションやBGMなどの過剰な脚色が無く、暴走族の少年やその周囲にカメラを向けてひたすらその日常を追いかけた作りだそうです。

そのためより一層、当時の暴走族がリアルにあぶり出されている大変興味深い映像と言えるかもしれません。

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宇梶剛士と嫁の驚きの馴れ初めとは!?

そんな宇梶剛士さんが厚生したのは、ご本人の著書「不良品」によると少年院に入れられた時、お母さまから渡された一冊の本がきっかけだったそうです。

その本とは、あの喜劇王チャップリンが壮絶な生い立ちを後に綴った自伝でした。

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宇梶剛士さんの若かりし頃、その闇の中にあった魂を救ったチャップリンの生きてきた人生にも興味がわいてきますよね。

ところで、宇梶剛士さんのご両親については母方がアイヌの出身であることしか出てこないので、そちらをまずはご紹介しますね。

・母:宇梶静江

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アイヌウタリ協会会長であり、アイヌ文化奨励賞を受賞したことのあるアイヌ解放運動に力を注いだ人物。

・叔父:浦川治造

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アイヌの長老の1人であり、アイヌ文化奨励賞受賞者。

また、東京アイヌ協会名誉会長も務めた経歴を持ち、そんな浦川治造さんの半生を追ったドキュメンタリー映画「カムイと生きる」があります。

このような家族構成からすると、宇梶剛士さんは少なくとも半分はアイヌの血が流れていると考えていいでしょう。

ちなみに、アイヌとは・・・。

(以下抜粋)

「アイヌは、日本列島北部に先住してきた独自の言語と文化をもつ民族である。

~中略~

現在、アイヌは日本国内に大部分が居住し、北海道に約2万4000人、関東に約3000人を数える。

日本全体では少なくとも3万人以上が生活していると推定される。」

抜粋元:「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」より)

さらに加えるべきは・・・。

(以下引用

「集落はコタンと呼ばれ,狩猟・漁労・採集を基本とする生活を営んでいたが,幕藩体制下での松前藩を中心とした支配・搾取,明治政府の同化政策の下で伝来の生活形態や伝統文化は根底的に破壊された。」

引用元:「大辞林 第三版の解説」より)

このようなことから宇梶剛士さん自身も、少なからず自分が少数民族の継承者である自覚はあるのではないかと予想されます。

そこで本題の宇梶剛士さんの嫁、アイヌ語でマッエ(またはマッ)、すなわち奥さまのことですが、宇梶さんは再婚なのだそうですね。

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なんでも最初の結婚が20歳のときで息子さんを1人もうけたそうですが、間もなく離婚して、再婚した現在の嫁との間には娘さんがいるとのことでした。

しかし、残念ながら宇梶剛士さんの2人の嫁やその馴れ初めなどは、まったく流出されていませんでした。

こちらは1900年頃のアイヌ女性の写真です。

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そこで、先ほども述べたように宇梶さん自身がアイヌ出身であるならば、もしかするとそのお嫁さんも同じ文化を継承できる相手を選んだ可能性も考えられますよね。

もしも仮にそうだとするならば、宇梶剛士さんと嫁の馴れ初めとして驚くべきことは、アイヌという少数民族が未来へ向けて今を懸命に生きていること、そのものなのかもしれません。

そんな複雑そうな背景を持ちつつも、穏やかな笑顔を絶やさない宇梶剛士さんの、今後のさらなる活躍からますます目が離せそうにありません!

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