多岐川裕美の若い頃の美貌と活躍がヤバイ!?夫との驚きの馴れ初めとは!?
最終更新日:2017年5月11日
昭和を代表する大女優のひとりとして、映画やドラマで活躍している多岐川裕美さん。
そんな多岐川さんは、若い頃に意外な作品でデビューし、その美貌で多くのファンを魅了し人気を集めました。
また、多岐川さんには元夫との間に驚きの馴れ初めがあるようなのです。
そこで、ちょっと気になったので調べてみました。
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プロフィール
名前:多岐川 裕美(たきがわ ゆみ)
本名:大内 薫(おおうち かおる)
生年月日:1951年2月16日(65歳)
出身地:東京都
身長:160 cm
血液型:O型
所属:トライストーン・エンタテイメント
・1974年:映画『聖獣学園』で女優デビュー。
・1979年:NHK『七瀬ふたたび』に出演。
・1983年:渡哲也とのデュエット曲「めぐり逢いしのび逢い」がヒットソングとなる。
・1984年:阿知波信介氏と結婚したが、1997年に離婚。
多岐川裕美の若い頃の美貌と活躍がヤバイ!?
2016年10月公開映画『クハナ!』に出演している多岐川裕美さんは、60代にして、スクリーンでも美しく輝く女優として今もなお活躍されています。
この映画は、ビッグバンドジャズに熱中する子供たちの生き生きとした姿を描いており、多岐川さんは、磯山さやかさん演じる栗山千智の母親役を演じています。
そんな今でもお綺麗な多岐川さんですが、若い頃から美しすぎる美貌が話題となっていました。
そこで調べてみると、1979年に放送され人気となったドラマ『俺たちは天使だ!』でレギュラーメンバーの紅一点として、クールで時おりコミカルな一面も見せる悠子役を演じていた多岐川さんに、男性ファンは虜になっていたそうです。
また、NHKで放送された『七瀬ふたたび』のヒロイン火田七瀬役をきっかけに、お茶の間でも広く知られるようになったようですよ。
そんな多岐川さんは、短大時代に東京駅近くでアルバイトをしていたところ、当時、東映ポルノ路線の一翼を担っていた鈴木則文監督が次作のヒロインとしてスカウトしたことが、女優デビューのきっかけだったそうです。
そして、1974年に公開された多岐川さんのデビュー作・映画『聖獣学園』では、そのスタイルの良さを惜しげもなく披露したのですが、興行成績は振るわず、注目を集めることも出来ませんでした。
ちなみに、多岐川さんの芸名は、このデビュー作のヒロイン・多岐川魔矢という役名と、鈴木監督が偶然開いた女性週刊誌の中にあった懸賞の一等入選者の名前から、その運を貰うことを思いつき、多岐川裕美としたのだとか。
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ところが、その作品出演以後、多岐川さんがドラマなどで清純派女優として活躍するにつれ、デビュー作でヌードを披露したことが話題となり、リバイバル上映されヒットしました。
そして、リバイバル上映されたことで、この映画での多岐川さんが、その後のどの作品よりも群を抜いて美しいと話題になり、観客はその美貌に釘付けになったと言われています。
多岐川さんとしては、あまり触れられたくないデビュー作だったようですが、女優として人気が出れば出るほど、逆に、その映画が取りざたされてしまうなんて皮肉な話ですよね。
しかも、芸名もその映画の役名から取っているので、忘れたくても忘れられない作品として多岐川さんの中に刻まれていることでしょう。
若い頃の多岐川さんは、デビュー当時はヌードを披露し、その後は、清純派女優としても人気を集め、その美貌と共に話題になっていたのですね。
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多岐川裕美と夫の驚きの馴れ初めとは!?
1983年に渡哲也さんとのデュエット曲『めぐり逢いしのび逢い』がヒットしていた多岐川裕美さんが、当時、しのび逢っていたのは、実は、マネージャーの阿知波信介さんでした。
芸能界では昔から、男性マネージャーと女優の恋愛はご法度とされている中での“しのび逢い”だったのです。
ただ、阿知波さんは、豪快で「ドンマイ!ドンマイ!」が口癖の男気のあるタイプだったそうで、一番身近で多岐川さんを支えるうちに、自然と親しい関係になっていったのかもしれませんね。
けれど、多岐川さんとはマネージャーとしてめぐり逢ったものの阿知波さんは、もともとは、ウルトラセブンでのソガ隊員役などでも活躍していた俳優だったそうです。
そこでも、やはり、演技をする上で悩みを分かり合える関係だったのかもしれません。
また、多岐川さんと阿知波さんは、三船プロダクションで女優とマネージャーとして出会い、共に別のプロダクションへ脱退し、さらに、そのプロダクションから再分裂し、所属タレントを100名ほど抱えるアクターズプロモーションへと移籍します。
アクターズプロモーションへ移籍した際に、阿知波さんは副社長、多岐川さんは所属女優という間柄になり、マネージャーという呪縛から解き放たれ、ここでやっと結婚をすることができたようです。
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けれど、2人の関係は長くは続かず、長女の華子さんを出産後、1997年に離婚してしまいました。
その時一時期、多岐川さんはアクターズポロモーションを離れますが、女優と子育ての両立に不安を抱いたのか、結局、アクターズプロモーションへと復帰したそうですよ。
実は、多岐川さんの離婚の理由は、阿知波さんの不倫だったとも言われていて、多岐川さんとの離婚後、20歳年下の銀座でホステスをしていた女性と再婚をしています。
それから、2005年にアクターズプロモーションが破産申請をした月に、阿知波さんは鹿児島県の犬飼滝で遺体で発見され、自殺と断定されました。
意外なデビュー作で美貌が話題となり、自殺してしまった元夫の阿知波さんとは、マネージャーという関係で出会っていた多岐川さんなのですが、過去のプライベートを振り返ってみると、様々な出来事に揉まれた波乱万丈な人生だったのだ、と驚かされますね。
しかし、それだけ濃い人生を歩んできたからこそ、深みのある演技につながっているのかもしれません。
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