工藤公康の若い頃の年俸や成績と昔の変則フォームがヤバイ!?息子との野球を巡る対立とは!?

最終更新日:2018年2月16日

ピッチャーとして大活躍していたのが工藤公康さんですよね。

工藤さんは現役引退後も監督として大活躍しています。

そんな工藤さんなのですが、若い頃の年俸や成績と昔の変則フォームが話題になっているそうです。

さらに、工藤さんと息子さんの野球を巡る対立にも注目が集まっているのだとか。

そこで、ちょっと気になったので調べてみました。

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プロフィール

名前:工藤 公康(くどう きみやす)
本名:工藤 公康(くどう きみやす)
生年月日:1963年5月5日(54歳)
出身地:愛知県
身長:175cm
血液型:O型
所属:福岡ソフトバンクホークス

・1982年:西武ライオンズに入団する。
・1985年:最優秀防御率を獲得する。
・1993年:パリーグMVPに選ばれる。
・1995年:福岡ダイエーホークスに移籍する。
・2000年:読売巨人軍に移籍する。
・2007年:横浜ベイスターズに移籍する。
・2010年:西部ライオンズに移籍する。
・2014年:福岡ソフトバンクホークスの監督に就任する。

工藤公康の若い頃の年俸や成績と昔の変則フォームがヤバイ!?

工藤公康さんは80年代からプロ野球選手となって長年、大活躍していましたよね。

工藤さんはピッチャーとして30年近くも活躍していました。

そんな工藤さんなのですが、若い頃の年俸や成績と昔の変則フォームが話題になっているそうです。

では、工藤さんの若い頃の年俸や成績と昔の変則フォームとは、一体、どのようなものなのでしょうか。

そこで調べてみると、工藤さんは若い頃から大活躍していたのでその成績と年棒が注目されているのですが、投球フォームもかなり変わっていたのだそうです。

まず、工藤さんは1982年に西武ライオンズに入団してプロになったのだとか。

工藤さんはピッチャーとしてプロ入りし、プロ一年目は中継ぎ投手として起用されていたのだそうです。

しかし、数年中継ぎとして活躍した後の1985年からようやく先発入りをして、8勝3敗の成績を残して最優秀防御率を獲得するなどしているのだとか。

さらに、1986年には11勝を挙げて、日本シリーズでも登板しシリーズMVPに輝いているのだそうです。

さらに、その後も工藤さんは3年連続二桁勝利を記録し、1993年には15勝3敗を記録し、最優秀防御率、最高勝率、ベストナイン、パリーグMVPも獲得しているのだとか。

このように工藤さんは西武のエースピッチャーとして活躍していたのですが、ものすごい活躍ですよね。

この後の工藤さんは1995年にダイエーに移籍し、ダイエーでも最多奪三振賞を獲得するなど活躍していたのだそうです。

さらに、1999年には二桁勝利、最優秀防御率、MVPに選ばれるなどしていたのだとか。

また、工藤さんは2000年代に入っても最優秀投手賞を受賞するなどして日本一も経験し、2004年には通算200勝を記録しているのだそうです。

このように工藤さんは選手時代には様々な大記録を打ち立てているのですが、高校生の頃からピッチャーとして大活躍していた工藤さんなので、プロになってもこうした大記録を打ち立てるのは納得ですよね。

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ちなみに、そんな工藤さんの年棒の推移を見ていくと、プロ入り時の年棒は480万円で、そこから23歳で1520万円となって1000万円を突破しているのだそうです。

さらに、1994年には1億6000万円で1億円プレーヤーとなり、30代に入ってからは毎年1億4000~1億6000万円の年棒を得ていたのだとか。

そして、2001年に年棒3億円となり、3億円プレーヤーになったのだそうです。

工藤さんの年俸はそれ以降も2憶8000万円~3億円を前後していたそうなのですが、工藤さんは40代になっても3億円近い年棒をキープしていたとのことで、球界でもトップクラスの年棒を得ていたようですね。

さらに、この後の工藤さんは横浜ベイスターズに移籍して年棒が9000万円となって大幅にダウンしたのだとか。

このように現役時代の工藤さんはプロ野球選手の中でも記録はもちろん、年棒も最後までトップクラスだったということで、さすが一流選手の工藤さんですよね。

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ちなみに、そんな工藤さんのフォームについてなのですが、工藤さんは昔から力が抜けた良い投球をしていて、90年代から下半身の力を上手く投球に取り入れることに成功した見事なフォームだと言われているそうです。

同時に工藤さんは変則的なフォームだとも言われて全体的に低めのフォームながらも上半身も柔らかく、手首のスナップなども上手く利用した特殊なフォームをしていたのだとか。

なので、こうした独特の投球フォームをしていたために投げる球にも勢いがあって工藤さんは投手として並み居る強打者を打ち取ることができたと言えそうですね。

また、現役引退後の工藤さんはソフトバンクの監督となって活躍しているのですが、監督としての年棒は約1億円ほどと言われているそうです。

他の球団の監督の平均年棒も1億円ほどとのことで、工藤さんの年棒が特別高いということもないのだとか。

しかし、工藤さんはすでにチームを日本一に導くなどしているので、そうした結果からみると現在の年棒は少し安いとも言えそうです。

選手時代はもちろん、監督としてもこのように高い年棒をもらっている工藤さんなのですが、工藤さんの若い頃の年俸や成績と昔の変則フォームがヤバイですよね。

工藤さんは監督としての手腕も高く評価されているので、今後もさらに監督として大活躍していきそうです。

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工藤公康と息子の野球を巡る対立とは!?

工藤公康さんはお子さんがいることが知られていますよね。

工藤さんのお子さんということで注目されることも多いのですが、そんな工藤さんと息子さんの野球を巡る対立について注目が集まっているそうです。

では、工藤さんと息子さんの野球を巡る対立とは、一体、どのようなものなのでしょうか。

そこで調べてみると、工藤さんは息子さんが俳優として活躍していて、対立しているとも言われているそうです。

工藤さんは五人のお子さんがいるのですが、長男の工藤阿須加(くどうあすか)さんが俳優として活動しているのだとか。

工藤阿須加さんは2012年に「理想の息子」で俳優デビューしていて、その後も大河ドラマ「八重の桜」に出演するなど大活躍しているのだそうです。

なので、現在も俳優として大活躍しているのですが、野球選手の工藤さんの息子さんが俳優として活躍するのは凄いですよね。

ただ、そんな工藤阿須加さんなのですが、俳優になりたいと言った時には父親の工藤さんから反対されたのだそうです。

工藤さんが工藤阿須加さんが俳優になりたいと言ったことに反対したのは当時、工藤阿須加さんが東京農業大学に通っていたのにもかかわらず、突然、農業の世界から芸能の世界に行きたいと言ったからなのだとか。

工藤さんは俳優になりたいと言った工藤阿須加さんに

「そんなに甘い世界じゃない」

と言ったそうなのですが、プロとして厳しい世界に身を置いていた工藤さんなのでその言葉には説得力がありますよね。

なので、工藤阿須加さんもそうした工藤さんの言葉にはかなり考えさせられたのだそうです。

また、そうしたことがあったことから親子間の対立も噂されたそうです。

ちなみに、工藤阿須加さんの野球歴についてなのですが、意外にも野球歴はほぼゼロなのだそうです。

というのも、工藤阿須加さんは昔からテニスをやっていて、プロのテニスプレーヤーになることを目指していたこともあるのだとか。

工藤阿須加さんがテニスをやるようになったきっかけははっきりとはしないものの、小学生時代にテニスを始めたということで、子供の頃から自然とテニスを始めたのかもしれません。

もしかすると、父親の工藤さんが野球をやっていたので、あえて野球はやらずにテニスを選んだのかもしれないのですが、それが本当なら工藤さんと息子さんの間で野球を巡る対立があったとも言えそうですね。

ただ、これについてはあくまで憶測で、純粋にテニスの方が好きだったのかもしれません。

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また、工藤阿須加さんは東京学館高等学校に入学してテニスに打ち込んでいたのですが、肩を壊してしまってテニスを続けられなくなってしまったのだそうです。

最終的に工藤阿須加さんのテニス歴は約10年ほどと言えそうなのですが、怪我がきっかけとなって自分のやりたいことを考えた時に、無農薬の農業を広めて農業を変えようと思い、東京農業大学に進学したのだとか。

ちなみに、東京学館高等学校の偏差値は40~61で、東京農業大学の偏差値は53~61なのだそうです。

しかし、そのように東京農業大学で農業を学んでいた工藤阿須加さんは19歳の時に俳優になりたいということを感じるようになったのだとか。

ただ、そのことを工藤さんに伝えたところ、工藤さんには反対をされたそうなのですが、後に工藤さんに

「男として自分の人生を決めなさい」

と言われて、俳優になりたいとさらに強く思ったのだとか。

なので、俳優になったきっかけは父親の工藤さんのこうした言葉のおかげだとも言われているのですが、元々、子供の頃に学芸会などで演劇をしたことから芸能界に興味があったそうです。

現在、工藤阿須加さんが俳優として活躍しているのは父親の工藤さんの影響も大きいと言えるのですが、今後もそんな工藤阿須加さんは俳優として大活躍していきそうです。

変則フォームや若い頃の成績や年棒が話題になった工藤さんなのですが、息子の工藤阿須加さんが俳優として活動していて、対立をしていたとも言われて注目されたのですが、今後もそんな工藤さんに注目していきたいですね。

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